社畜マインドから逃れる為に~会社以外に居場所をつくる~

 

 

こんにちは、勇者おでいぶです。

 

僕は現在ランサーズというクラウドソーシングサービスで記事の執筆案件を受注しながらブログを書き、会社に依存しない個人の生き方を追求しています。

 

新卒で入った銀行を辞めたのは、入行してから1年が経った頃でした。

 

僕の母は「いい大学に入っていい企業に就職、定年まで会社に尽くして安定した給料をもらうのが幸せな人生だ」という前時代的な価値観の持ち主だったので、当然ものすごい勢いで反対されました。

 

実際僕もそんな母の教育通りに進学校、有名大学に進学し、周りの多くの人間がそうするように就活して銀行に入りました。

 

会社員以外の生き方を知らなかったのです。

 

おそらく多くの方は「新卒で入った会社を辞めたら人生終わる」だとか「会社に所属してない人間はろくでもないやつだ」などという言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

親や上司の年代は、「会社の為に自己犠牲で尽くすのが美徳」という価値観を持っている方が非常に多いです。

 

彼らのアドバイスや教育を長い間受けていると、いつの間にか自分も似たような価値観を持つようになります。

だから例え死にたくなるほど辛くても、あるいは人生を賭けてやりたいことがあっても「会社辞めたらヤベェwww」と自らブレーキをかけてまた奴隷の様な人生に戻ってしまいます。

 

1つの居場所に依存するのは危険!

会社では上司の考え方、家では親の価値観を押し付けられます。

だから会社にしか居場所が無い人は「会社に尽くすことが美徳」という上司の考え方にモロに影響をうけます。

したがって会社と家の往復で毎日が終わってしまう会社員は、考え方が偏りやすい。

 

入社したては、「会社が全てじゃない!自分の人生を充実させたい!」と思っていても、毎日上司に叱られ、価値観を押し付けられていれば、いつの間にか自分も「社畜マインド」の持ち主になっているのです。

 

「会社に滅私奉公するのがデキる社会人」と無意識に考えるようになります。

 

会社という居場所しかない為、そこでしか通用しない考え方に縛られるようになってしまいます。

 

会社以外の居場所をつくる

 

そこで提案したいのが、会社以外に多くの居場所をつくることです。

 

僕も就活を始める前までは、「大企業に勤めて、安定した給料をもらうのが幸せだ」と考えていました。

親にも学校の先生にもそう教わっていたし、周囲の友達も皆そう考えていました。

 

だから就活で社畜アレルギーを感じるまでは「会社に尽くす人生」が当たり前だとおもっていました。

就活を進めていく上で、会社員という生き方に全く魅力を感じなかったこともありますが、SNSで知り合った友人に誘われてオフ会に参加したことも、「会社員人生こそ幸せ」という価値観を見直す上で大変有効でした。

 

そのオフ会では職種を問わず、20~30歳の人が月に一度程集まって飲み会を行っていました。

そのころ僕は会社員という生き方に疑問を覚えながらもレールから外れる勇気がなく、嫌々会社に勤めていました。

 

オフ会のメンバーは同じように、生活費の為に嫌々勤めているサラリーマンが殆どで、皆将来や生き方に対する不安を持っており、愚痴をこぼしていました。

 

そんな中で自分の仕事が楽しくてたまらない!という男性がいました。

彼はラーメン屋の店長。

週に2回、家に帰らずに仕事をすることもある彼は、僕たちの中で最も激務をこなしているはずなのに、全く悲壮感はなく、仕事も人生も楽しんでいました。

彼にとってラーメン屋の店長は長年の夢だったそうです。

 

僕が言っていた大学や友達の間で飲食店の従業員は「底辺乙www

などと馬鹿にされていました。

給料の安い飲食店で働くことは、幸福とは最もかけ離れたことだと、そう思っていました。

 

それがどうでしょうか。

オフ会では僕らサラリーマンがそろって毎日に絶望していたのに、最も忙しく給料も少ないはずの彼が人生に希望をもって楽しく働いていたのです。

 

飲食の何が底辺なものか。底辺は自分の意志ももたず会社の為に尽くすだけで人生を終えるかもしれない僕たちのことだ

 

と思いました。

 

周囲の意見に流されず、自分の意志に正直に人生の選択をした彼は、僕らの中で最も豊かな人生を楽しんでいました。

 

オフ会という「会社以外の居場所」を見つけたことで、自分の意志で生きているラーメン屋と出会ったことで、「会社に尽くす」以外の人生観を知ることができました。

あの時会社以外の居場所をつくっていなかったら、今ごろ「会社はつらくて当たり前だ」、「給料は我慢代」などと社畜マインドに侵され、立派な奴隷Aに出来上がっていたかもしれません。

 

自分らしくある為に居場所をつくる

「他人の人生観を知る」という以外にも居場所を沢山もつことのメリットはあります。

 

もしあなたが会社員としての一生を選んだとしても、他に居場所をつくることで幾分か「自分らしく仕事をする」ことができます。

会社員として出世していく人生を考えているのなら、どうしても消極的な働き方になってしまいがちです。

出世できるかどうかは上司からの評価と好感度次第。

だから上司にとって都合の良い、波風を立てない社員が出世しやすい傾向にあります。

 

社員はそれを知っているので、意見があっても積極的に主張せず、理不尽な要求に対しても自分を押し殺して従います。

 

積極的に自分を出して仕事ができないのは「会社だけに依存しているから」です。

会社という居場所、もしくは会社でのステータスに依存しているので、それを失うことを極端に恐れ、自分の意志を主張することができなくなります。

 

会社以外にも心安らぐ居場所。

社会人サークルでもオフ会でも構いません。

「万が一会社員としての立場が危うくなっても僕には他に居場所がある!」

と思うことで、積極的に自分の考え方を主張でき、自分らしく仕事をすることができます。

 

仮に会社員のステータスを失ったとしても、そこでの出会いが次の仕事選びに役立つかもしれません。

 

脱・会社依存

会社以外の居場所を見つけることで

1. 自分の人生観・考え方を見直せる

2. 自分を積極的に出して仕事ができる

という大きなメリットがあることを説明しました。

新しいコミュニティに突っ込んでいくことは勇気がいりますが、人生を考え直し、大きく左右する貴重な機会になります。

 

一つの世界に依存すると、そこに依存してしまい、居場所をなくすことを恐れて臆病な人間になる上、自分の意志を失う事にもなりかねません。

 

会社依存から脱却して自分を取り戻しませんか?

 

 

 

高学歴は要注意!?高学歴ほど社畜マインドが浸透する理由

 

 

こんにちは、勇者おでいぶです。

 

最近大学時代の友達と話していて、

   「高学歴の人ほど社畜マインドが浸透しやすい」

                   と感じました。

 

僕は大学時代を早稲田で過ごして、銀行に就職し、1年で辞めました。

早稲田は世間的には高学歴と言われる大学で、就職にも有利とされています。

 

学生は4年になると当然のように就活を初め、大手企業の内定を貰う為に奮闘します。

そんな中でベンチャー企業や中小企業を第一志望にする学生や、就職以外の道を模索する学生は、異常な人間のように見られました。

 

「将来は大手企業に就職して安定した生活を送るのが当たり前」という価値観は高学歴の人間ほどもっていると感じます。

そもそも「ある程度の学歴が無いと大手企業に入れない」からということはあります。

それでも、多くの先輩が「会社に入ったら遊べないから今の内に楽しんで。」、「会社員は懲役40年www」と口を揃えて言うのに、就職以外の道を模索すらしないのは何故なのでしょうか。

 

社畜化は学生時代から始まっている

僕たちは小さなころから、親や学校の先生によって、社畜になるように教育されています。

指定された科目を必死に勉強して、受験に合格していい大学に入ること、就活で大企業に入り安定した生活をすることが「豊かな生活だ」と教え込まれます。

 

大企業、難関大学を目指すことが難しい学校では比較的この価値観は共有されていないように思います。

「大企業=理想」と思っていてもそもそも大企業に入ることが難しいし、周りの人間も大企業に入ることが非現実的だという共通認識をもっているからです。

 

一方進学校では多くの生徒が難関大学を目指すこと、大企業に就職することが可能です。

だから親も必死になって子供をそのレールに乗せて安心したいのです。

 

勉強でなく、部活や趣味に没頭する生徒の親が不安を抱えやすいのはこの為です。

子供には、難関大学に進学して大企業に就職してもらいたい。

だからその道に必要なこと以外に時間を割いてほしくない。

という想いがあります。

 

過去の実績を捨てるのが怖い

高学歴の人間ほど社畜マインドを持ちやすい理由には、親や教師の圧力以外にも要因があると思います。

 

それは学生自信のプライドです。

高学歴だからと言って頭が良いわけでも有能というわけでもありません。

ただ、素直で従順な子が多いのです。

(僕を含め)彼らは親や教師の言う事を疑う事もせず正しいと思い、そのレールから外れなように必死こいて長時間勉強してきたのです。

 

だから努力(多くの時間を費やした)の証である学歴は、彼らの自尊心を保つ上で大きな役割を果たしています。

 

ですが、親の言うように受験勉強に学生時代の殆どを費やしてしまった人間は、それ以外の何かに没頭した経験や、特殊なスキルを身に付ける努力をした経験が非常に乏しいのです。

 

残るのは「高学歴」というステータスのみ。

そしてこの「過去の栄光」を最も活用できるのが「就活」です。

 

学歴は大企業を受ける為には必須と言っても良いステータスです。

 

学生時代に自分の興味や好奇心を抑えて受験勉強、単位を取る為だけに勉強してきた人は、使えるステータスが「学歴」という肩書しかない。

 

だからこそ、この「学歴」をなんとか活かそうとする。唯一の栄光である「学歴」という肩書を使わないわけにはいかない。

「就活」以外の道を無意識に進路から外してしまうのです。

 

彼らは上の言う事に従うように教育されているので、会社に入っても上司や親の言う事に反発することはあっても行動を起こすことは殆どできないのです。

 

理不尽を押し付けられても

「やりたくないことでも我慢し続ければいつか報われる」

「会社に尽くすのがデキる社会人だ!」

 

と会社にとって都合の良い脳内変換を勝手にしてくれる「社畜マインド」が浸透しているのです。

 

僕も銀行員時代は会社の奴隷の様な人生に絶望しながら、ろくに行動もせず、飲み会で愚痴をこぼすだけの会社員生活でした。

 

親に反対され会社を自分の意志で辞めた時から、初めて「自分の人生を歩み始めた」気がして、とても気分が晴れ晴れとしたことを覚えています。

 

これからは学歴という過去の栄光を捨てて、自分自身のやりたいことをかたっぱしから追求していく人生にしていきます。

 

 

 

 

 

勇者おでいぶのモテ奮闘記~決死のオナ禁チャレンジ~

 

 

こんにちは、勇者おでいぶです。

 

男性の皆さん。こんな話を聞いたことがありませんか。

 

オナ禁をするとモテるようになる」

 

僕は大学1年の時に、この噂を知りました。

中学高校を男子校というジャングルで育った僕にとっては、

キャッキャウフフフwwww

的な青春は無縁であり「大学に入ったらモテまくってやろう」と胸に誓っていました。

 

だからその日も息子と遊んだ(性的な意味で)ついでに「コミュ障 モテ方」と検索。

 

中々有効な情報を得られず落ち込んでいると「オナ禁のメリット」というページにたどり着きました。

 

中二の時に目覚めてから、アスリートの筋トレのようにストイックに自家発電を続けていた僕にとっては、この神聖な行為を禁ずるなど考えられもしませんでしたが、半信半疑でページを開いてみることにしました。

 

するとオナ禁成功者たちの「禁欲してよかった!!」、「オナ禁したら童貞卒業できた」などという体験談が紹介されていました。

 

童貞…卒…業…?

 

まさに「童貞卒業」することは僕の大学生活のスローガンであり、絶対的目標であったのです。

卒業する為なら何でもする覚悟でした。

 

だから「童貞卒業」という四文字をみた僕は激しく心を揺さぶられ、次の瞬間にはオナ禁プランの考案に取り掛かっていたのです。

 

オナ禁を続けることによって「ニキビ、肌荒れ」等の症状が抑えられる上、マッチョになり更にハゲも改善されフェロモンがムンムンあふれ出るそうです。

つまり

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 これが

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 こう!!!なることが想定されるわけです。

 

僕は一年半のオナ禁を誓い、所属するテニスサークルの友達に発表しました。

 

 

おでいぶ、マスタベやめるってよ。

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発表した以上もう引き下がれません。

オナ禁チャレンジここに開幕。

 

1年半後、オナ禁マスターとして情熱大陸の取材を受けている自分の姿を想像するとニヤニヤが隠せませんでした。

 

ナレータ―

―おでいぶの朝は早いー

 

おでいぶ

おはようございます

 

ナレーター

お肌の調子よさそうですね

 

おでいぶ

オナ禁してますからね。

 

ナレーター

苦しくなったり、しないんですか。

 

おでいぶ(職場に向かう準備をしながら)

当然、なりますよ。プロとはいえ、僕も人間ですから。

でもこれで飯くってるんでね。

 

ナレーター

どうしてもやりたくなったりしないんですか。

 

おでいぶ

なりますよ。二週間に一度くらい。

どうしようもなく強いムラムラがおそってくるんです。

 

ナレーター

どうやって乗り越えるんですか?

 

おでいぶ(遠い目をして窓の外を見ながら)

おしっこ。ですかね。

おしっこして性欲を紛らわすんです。

あとは応援してくれるファンの顔を想像したりしますね。

踏ん張れるんですよ。

 

ナレーター

女子からはモテるようになりましたか?

 

おでいぶ(筋トレをしながら)

特に変わりませんね。

でもまだまだシーズンは続きますから。

最後に優勝(性的な意味で)できること、そして己を信じて続けるだけですよ。

 

ナレーター

強いんですね

 

おでいぶ

オナ禁してますからね。

 

ナレーター

おでいぶのオナ禁は続く。

今、彼が眺めている空は来年どのような色になっているだろうか。

 

 

的な感じでオナ禁してました。

オナ禁の果てに

半年経ったくらいから気付いてはいたんです。

あれ、なんも変わってなくね?

 

ニキビはあるし腹はつまめるし、Mハゲは進行した気すらします。

 

しかし半年の努力が無意味であったことを認めるのが怖かった。

 

1年たったら劇的に変わるのだというわずかな希望を胸にオナ禁を続けました。

 

 

そして、約束の1年半が経ちました。

 

公約を果たしたことを友達に伝え、すぐに祝勝会が行われました。

 

オナ禁おめでとう!

てかなんでオナ禁してたの?

 

おでいぶ

オナ禁すると童貞卒業できるって。

 

なんで?

 

おでいぶ

オナ禁するとホルモンの影響とかでマッチョ&イケメンになるらしくて…。

 

変わってなくね?www あとお前童貞じゃんwww

 

おでいぶ

ガクビチョッ…(膝から崩れおちて、涙と鼻水を垂れ流す音)

 

 

僕が一年半のオナ禁で学んだのは

オナ禁しても特にモテないし童貞も卒業できない」ということでした。

 

後のことになりますが僕の童貞を卒業できたのはマッチングアプリのおかげで、オナ禁は特に意味ありませんでした。

 

2日に一回自家発電するという計算で行くと僕がこの挑戦で逃したオナチャンスは実に約270回。

 

失われた270回のオナチャンスに見合った発見かは微妙ですが、「童貞卒業にはオナ禁よりマッチングアプリ」ということが実証されました。

 

 

あの時気付くべきだったんです。

そもそも「オナ禁してモテてもヤったら振出にもどるんでね?」

ということに。

 

オナ禁よりも普通に筋トレしたり男性用化粧品でケアした方が効率いいとおもいます、はい。

 

 

 ↓こーいうやつでね、

超絶コミュ障のワイが邪道に克服した方法ww

こんにちは、勇者おでいぶです。

 

先日読んでいた自己啓発本に「コンプレックスを強みに変える!」的な項目がありました。

 

そこで思い出したのが、大学時代の僕もコンプレックスまみれの人間だったということ。

 

大学生活において、僕のコンプレックス2トップは

 

コミュ障であること

 

 

童貞であること

 

でした。

 

中高は「オタクの聖地」と呼ばれるような男子校で過ごしていた為、友達ももれなく全員童貞。

童貞であることをコンプレックスに感じたことはありませんでした。

 

それでも「大学にいったら毎日美女とあんなことやこんなことをするキラキラキャンパスライフを謳歌するんだ」と目を輝かせていました。

 

つらい受験勉強も美女の為なら耐えることができた…。

 

 

パンツを脱ぎに大学へ

下心と性欲で何とか受験を突破し、飲みサーの代名詞であるテニサーに入りました。

 

準備は整いました。

あとはパンツを脱ぐだけに思われました。

 

しかし何という事でしょう。

 

スクフェスとアニメ、ついでにテニスに勤しんでいるうち、僕の大学生活はあっという間に3年が過ぎていたのです。

彼女もいなければ女友達もいない、コミュ障も治ってないしパンツは履いたままでした。

 

このままパンツを脱がずに大学を卒業するなんて、僕には考え難いことでした。

 

なぜなら僕はパンツを脱ぐ為に浪人までしてキツイ受験勉強に耐えたのですから。

パンツを脱がずに大学を卒業するという事はすなわち、僕の受験勉強への熱意と努力を全否定することになります。

 

20年以上も活躍の時を待っている愛する我が息子をこれ以上待たせることもできません。

 

更に、永遠の童貞を誓い合った男子校時代の友人は次々と彼女をつくり、童貞を卒業していました。

 

走れおでいぶ

おでいぶは激怒した。必ず、かの永永無窮の童貞を卒しなければならぬと決意した。

おでいぶには女がわからぬ。おでいぶは、村の童貞である。息子をしごき、息子と遊んできた~「走れおでいぶ」より引用~

 

しかしコミュ障ではどうしようもありません。

女の子に話しかけられると「あっ…、あっ…」としか言えなくなってしまうおでいぶはいつしか「カオナシ」とか呼ばれるようになっていました。

 

今でこそコミュ障である自分を受け入れていますが、「コミュ力こそ全て」みたいな謎風潮のある大学生活において、コミュ障というコンプレックスは耐え難いものでした。

 

ダークサイドおでいぶ

23歳童貞という状況に焦りまくった僕はついに闇堕ちします。

当時サークルのヤリ〇ンの先輩が利用していたマッチングアプリをインストールしてしまったのです。

「ネットでの出会いは邪道」とか「美人局に騙される」とかいう噂はありましたがそんなことを気にしている余裕はありませんでした。

 

既に股間のライトセーバーは赤く染まりきっていたのです。

 

という事で複数のアプリに同時登録し、パンツを脱ぐ準備は完了しました。

 

 

マッチングアプリは

異性の顔写真、プロフィールをみてよさげなら「いいね」

お互いが「いいね」するとマッチングとなり、チャットできる

気が合えばリアルで会う

 

というのが大まかな流れです。

リアルでは陰キャなおでいぶも、マッチングアプリの才能には恵まれていたようで、複数の女性とマッチングすることができ、リアルでの出会いに至りました。

 

股間のライトセーバーもうれしそうにヴォンヴォン言ってました。

 

複数の女性とあってお話する内に、徐々に初対面の女性が相手でも緊張しなくなりました。

最初は会話盛り上がらず玉砕してましたが、回数を重ねることでどのように女性と接したらいいのか、どのような会話を進めれば盛り上がるのかを掴む事ができるようになったのです。

 

最初はビビッていたのですが、サクラも殆どいませんし、会ってみると普通の女性ばかりで拍子抜けしたくらいです。

 

結局マッチングアプリでその後念願の童貞卒業を果たしたおでいぶ。

初体験で股間のライトセーバーをぽっきり折られた話は以前ブログで書かせて頂きました。

 

davidoyusha.hatenablog.com

 

 

 

後日遊んだ時に告白するも撃沈し散々は結果になりましたが、今では飲み会の笑い話として大活躍しているので後悔はありません。

 

 

個性を受け入れる

最近はマッチングアプリ活動を控えているので、また少しコミュ障にもどっています。

それでも今ではコミュ障の自分が大好きなので全くコンプレックスには思っていません。

 

会社や大学など「コミュ力こそ正義」みたいな風潮のある場にいると、シャイであったり内向的であることを恥ずかしく思ってしまいますがいずれもれっきとした個性です。

 

コミュ障改善の為にダークサイドに落ちるのもアリですが、

自分の個性や特徴を堂々と愛せる今のほうがなんだか毎日幸せです。

 

 

「とりあえず3年続けろ」は無視しよう

 

 

こんにちは、勇者おでいぶです。

 

この前、新卒で入った銀行を一緒にノリで退職した友達と「退職あるある」について話していたのですが、その中に『「とりあえず3年は続けろ」と諭される。』というのがありました。

 

僕も入行後1年で親に退職をほのめかした時に「3年は続けないとダメ!」と言われました。

 

確かに転職市場では「3年続いたかどうか」が一つの審査基準になると言われているのは有名な話です。

 

人の働き方や仕事への価値観が大きく変化している中、何故「3年」という評価基準が根強く残っているのでしょうか。

 

「とりあえず3年」は正しいのか

 

親や上司は口を揃えて「とりあえず3年勤めないと転職市場で不利。」と言います。

 

その理由は「忍耐力を評価する為」というのが一番的です。

確かに厳しい会社に3年所属したという実績はストレス耐性を評価する上で分かりやすい指標に感じられます。

 

が、僕は全く納得できませんでした。

 

与えられるストレスやキツさは会社によってバラバラなのに、何故3年という一律の期間を設けて判断できるのでしょうか。

 

そもそも本当にやりたい仕事なら、ストレスなど感じずに没頭できるはずなのです。

つまり今の仕事で大きなストレスを受けてヒイヒイ言っている人間はそもそも仕事選びに失敗しています。

 

仕事選びに失敗した上、周りの「3年は続けろ」という声に流され、状況を改善しようという努力(転職、退職)もしなかった人間。

 

「無駄なストレスを感じる環境」という問題を抱えながら、そして転職したいと考えながらも自分で決断できずに3年も問題を放置してしまう人間が評価されるのも滑稽な話です。

 

 

「3年働いてみないと仕事の面白さはわからない」という理屈で諭してくる人もいます3年も働かないと面白さがわからないようなら、その仕事に向いてないのだと思います。

 

人が本当に面白いと感じるものは、その魅力に気付くまで3年もかかりません。

大抵は少しやってみて「これだ!」と感じて、没頭できるものがその人にとっての「面白いモノ」です。ってえらい人が言ってました。

 

その通りだと思います。

僕は中学、高校とソフトテニス部に入っていましたが、ソフトテニスの魅力に取りつかれるまでは1ヶ月もかかりませんでした。

真夏の炎天下でも通常の練習とは別に自分達でコートをとり、8時間ぶっ通しで練習していた。

 

結局試合ではテニプリwwwと突っ込みたくなるようなバケモノと当たってしまい都大会どまりでした。(確か五感を奪われた気がしないでもない)

 

それでもソフトテニスは、会社員時代まで含めて自分が最も没頭できた「面白いモノ」であり、初めて没頭できたものだったので好成績を残し表彰を受けることもできました。

そこに一切のストレスはありませんでした。

 

負けた時や上手くいかない時に感じるくやしさはあっても、やればやるだけストレスが溜まる仕事はそもそも向いていないのだと思います。

 

ストレスを感じながら「3年」という条件を満たす為に嫌々その仕事を続ける人間と、心からその仕事を楽しんでいる人間とではモチベーションにも成果にも大きな差が出てきます。

 

「とりあえず3年」の真意

会社がしつこく「とりあえず3年は勤めよう」と言ってくるのは、「3年もその企業にいれば、社畜マインドが出来上がるから」です。

言い方がわるいですが「洗脳」が完了するからです。

 

3年も同じ場所で働き続ければ、どれ程仕事がつまらなくても、そしてどれ程劣悪な待遇であっても、「これが普通なんだ」と慣れてきます。

会社が理不尽な待遇を強いて、奴隷のように扱ってきても「ここで文句を言わずに受け入れるのがデキる社会人!」、「やりたくない仕事でも我慢してこなすのが一流の社会人」と会社にとって都合のいい解釈をしてくれる社畜マインドが出来上がります。

 

会社にとって扱いやすく、都合の良い社畜になってくれるのです。

 

そして今度は新入社員が何とか待遇や環境を改善しようとする様子を見て「皆が耐えているのだから甘えるな!3年は続けろ!」というのです。

 

社畜転生

 

社畜社畜を生み出すシステムがあるのです。

 

 

「とりあえず3年」より自分を信じてあげよう

 

「3年続けないと評価しない」という会社は確かに存在します。

ですがそんな時代錯誤な会社に転職したとしても明るい未来があるとは思えません。

 

「3年続けないと評価しない」というのは「ウチ、仕事つまらんし、待遇もクソがけど文句言わずに従ってくれる?」とほぼ同義です。

 

そんな会社はこちらから願い下げです。

 

やりたくない仕事を三年も続けて、面白さも理解できなかったら、こんな無駄な時間の使い方ってないですよね。

 

それよりも自分が没頭できる「面白いモノ」を見つけ、それを仕事にする努力をした方が有効な時間の使い方と言えませんか?

 

転職をするにしても、個人として働くにしても、周りに流されずに自分で道を選んだ「決断力」と「勇気」に自信を持つべきです。

 

三年の忍耐で得られる「社畜マインド」よりもはるかに役に立つスキルです。

 

 

「とりあえず3年は続けろ」という人は人の人生だから言えるのです。

20代という人生でも重要な期間の内、したくもないことに3年も費やすなんてことは自分の人生と真剣に向き合っていればできないはずです。

 

「とりあえず3年」という他人の言葉に振り回される人生よりも、自分で人生の決断をして生きるほうが楽しいと思いませんか?

 

 

親に退職を反対されたら

 

 

こんにちは、勇者おでいぶです。

 

僕は現在新卒で入行した銀行を1年という神速で退職し、駆け出しフリーランスとして活動しています。

 

僕が退職した銀行は1年半で20%以上が会社を辞めていました。

そこそこの退職率を誇るうんこ会社です。

僕を含め、退職した仲間が口を揃えて言うのは「勇気を出して退職してよかった」ということ。

そして「退職する際には親に猛反対された」という事です。

 

僕も「会社を辞めてフリーランスになりたい」と親に相談した時は猛反対されましたし「あなたの考え方は間違っている」、「育て方を間違えた」などと言われたりしました。

 

というか現在も事あるごとに、「会社に依存しない生き方や働き方」を否定してきます。

 

 

何故子供の退職を許さないのか。

何故親は子供が会社を辞めることを頑なに否定するのでしょうか。

 

「子供の将来を心配しているから」

 

というのが大多数の意見でしょう。

たしかに我が子を案じる親の気持ちはわかります。

 

親の世代が若かった頃は、良い大学、良い会社に入って、生涯その会社に尽くすことが美徳とされていました。

当時は終身雇用が当たり前だったので、会社もその見返りに労働者が定年まで裕福な生活をできるだけの給料を支払っていました。

 

そんな時代において「会社にすがり付けば安泰だ」→「会社を辞めたらアカン」と考えるのは無理もありません。親の世代の価値観ではそれが当たり前です。

 

「会社にすがりつけば安泰」の時代は終わった

しかし生活できるギリギリの賃金しかもらえない会社員が多く、終身雇用も崩壊した現在、そして未来において「会社に所属していれば安泰だ」などと言う理屈は時代遅れになっています。

親の世代では最も安泰だと思われていた銀行が、現代ではAI、仮想通貨の発達によって窮地に立たされています。

 

「子供が心配だ」という親の心配は本心かもしれませんが、目まぐるしく変化している現代において「会社にいれば安泰」という常識が正しいとは言えません。

 

親が子を心配する気持ちは本当でも、親の意見がこの時代において正しいとは限りません。

 

 

心配なのは「できそこない」の親族をもつ自分?

 

日本は肩書や社会的地位を重視する社会です。

自分の肩書のみならず、家族の肩書も以上なほど気にしてしまいます。

 

良い大学、良い会社というレールから外れた人間は「できそこない」のレッテルを貼られてしまいます。

 

これは一部の話ですが、ママ友の間では夫や子供の社会的地位(学歴や会社の規模、または役職)の上下で競い、マウントを取り合うなんてこともあるようです。

 

彼らにとっては家族が正社員という社会的地位を捨てることが耐えがたい苦痛なのかもしれません。

「正社員でなければ人間としてどこか劣っている」という価値観を強く持っている親世代にとって、組織に属していない子供を持つことは、体裁を保つ上で一大事なのです。

 

全員がそうではないですが、子供の将来よりも自分の体裁を心配してしまう親も少なからずいるのではないでしょうか。

 

 

会社員であることのリスクもある

正社員を辞めた場合のリスクを気にしてしまうのはわかりますが、会社員を続けることのリスクもあります。多くの親御さんは子供の社会的地位を案じて退職に反対しますが、社員であり続けることのデメリットには気付きません。

 

やりたくもない仕事を定年まで毎日し続けるストレス、一度しかない人生の大切な時間を会社に売り続けるストレス、夢や好きなことをあきらめて会社に従属するストレスは、働いている本人にしかわかりません。

会社員であり続けることで感じる疲労や精神的ダメージは本人にしかわかりません。

 

自分で限界だと感じているのに、事情を知らない親に退職の許可をもらうのもおかしな話ですよね。

 

他人に許可を求めるのは日本人の国民性

日本人は集団や和を重んじるように教育されています。

その為に集団においてより地位の高い人間に従う事。上の人間に反論しないことを教育の過程で叩き込まれます。

 

学校では先生に従い、会社では上司に従い、家庭では親に従う。

 

自分で納得し、賛同した上で従うなら良いですが、意見が異なっても無条件で上に従ってしまうようになります。

 

「上司(又は親)が言うことなのだから間違いない」

 

そんな思考停止状態になってしまいます。

 

だから重要な決断をするときは自分一人でできず、親や上司等、自分より立場の上の人間に許可を求めずにはいられないのです。

 

 

人生の責任を負う

親に許可を求めてしまうのは

 

「自分の決断に責任をもちたくないから」

 

というのも原因の一つにあると思います。

 

重要な決断をするときに他人に許可を求めることで、その決断が間違っていたとわかっても、

「親がいってたから…」

「上司がそういったから…」

 

と責任逃れの逃げ道を残してしまうのです。

 

会社ならミスをしても上司が一緒に責任を取ってくれるかもしれませんが、人生の責任は誰も取ってくれません。

 

「親が辞めてはいけない」といったから定年まで同じ会社に勤めたとしましょう。

定年後、それがつまらない人生だったと後悔しても、時間が戻るわけでも親が責任を取ってくれるわけでもありません。

 

人生の決断は自分にしかできませんし、その責任も自分にしか負えません

 

でもそれこそが自分の人生を生きるという事なのだと思います。

 

 

最悪、事後報告でもよい

 

僕の親もそうですが、「いい学校をでて、いい会社に入り出世するのが男の幸福」という古い価値観をお持ちの親御さんは多いと思います。

 

そのような場合「会社を辞めたい」と言っても大喧嘩になる可能性が高いです。

一刻も早く会社を辞めたい状況なら、何日も親を説得するのに使うのは無駄に消耗します。

 

だったら最悪先に会社に退職の意志を伝えるのもアリだと思います。

退職願いを出した後ならもう親が反発したところで結果は変わらないですし、諦めてくれるでしょう。

僕は先に伝えて大ゲンカしました。

 

自分の人生は自分で守る

「会社を辞めたらとんでもないことになる」と思い込んでる人が多いですが、大したことありません。

身を置き続けることのほうがはるかに「とんでもない」と僕は考えます。

 

定年後に「つまらん人生だった」、「会社の為の人生だった」と気付いても時間は戻りません。

 

自分の将来は自分で守る。

 

その為に勇者おでいぶは今日も勉強して遊んで記事かいてオ〇ニーして寝るのだ。

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「最近の若者は…」という魔の言葉

 

 

こんにちは。勇者おでいぶです。

 

最近家の近くの蕎麦屋でご飯を食べていたところ、横に座った二人のおっさんがしょうもないことを話していました。

 

「最近の若者は情けない」

 

という誰でも一度は言われたことのあるお決まりの若者バッシングが聞こえてきたのです。

 

「情けない」で済むならまだしも、「ゆとり世代は最早別の生物。俺たちの劣化版だよ」などと留まることを知らない悪口。

 

おまけに「俺が若い頃は…」とお決まりの自分語りがはじまりました。

 

このおっさんたちが言うように、最近の若者は本当にレベルが低くなってしまったのでしょうか。

 

 

「最近の若者は…」は古代エジプトから使われていた!

なんと「最近の若者は…」という愚痴はエジプトの古代遺跡にも象形文字で刻まれていたそうなのです。

 

古来より一定の年齢に達した人ならだれでも使ってしまい得る言葉なのです。

 

では何故この愚痴を使ってしまうのか?

 

それは中年~高齢者にとって気持ちの良い、麻薬のような言葉だからです。

 

世代批判は麻薬

 

ゆとり世代はこれだから…」という言葉もおなじです。

 

ゆとり世代や自分より下の年代を無条件に否定することで、自分は勝っている。ゆとり世代生まれでない自分はそれだけでゆとり世代に、人間として勝っていると思い込むことができるのです。

 

だから自分に自信が無い人や、他人と比べて幸せを相対評価してしまう人程この言葉を使ってしまうのです。

 

ゆとり世代&若者」という自分より下の存在をつくり上げることで、「自分はこいつらよりマシだ、人間として優れている」と思い込み、何とか自尊心を保っているのです。

 

TBSの「噂の!東京マガジン」という番組内に「平成の常識 やって!TRY」というコーナーがありますが、まさに「最近の若者は…」というおっさん世代の自己満足を表したような番組です。

 

町を歩く若者の女性に指定した料理を作らせ、四苦八苦している様子を「最近の若者はそんな料理もできないの!?」と出演者が嘲笑するといった内容。

 

 

まさに「料理ができないゆとり世代」を取り上げることで、自分もしくは自分達の世代が優れていると自己暗示し自我を保っている。

 

評価したいのは、たまに湘南の海での撮影があり、

巨乳水着のお姉ちゃんが見られるところくらいです

 

 

その他にも若者の恋愛離れ、車離れといったようにテレビ「スキルも意欲もない若者」とまるで悪者のように取り上げる。

 

しかし、そもそもおっさん世代の評価基準で若者の価値を測ること自体が間違っているのです。

 

 

若者は過去ではなく現代を生きている

変化のすさまじい現代です。

今のおっさん世代が生きる為に必要だったスキルや考え方と、今の若者が必要とされるスキルは全く異なります。

 

それなのにいつまでも料理のスキルやら、自動車の運転スキルやら、会社への忠誠心やらで若者を判断して「我々の世代に比べて若者はなっていない」とマウントをとること自体が間違っているのです。

 

東京マガジンを例に挙げましたが、あれが逆に高齢者にスマホPCをもたせ、満足に操作できない様子を若者が嘲笑する内容だったらどうでしょうか。

 

きっと多くの高齢者から非難の的にされるはずです。若者の僕も気分が悪くなります。

今の高齢者が若い時にはスマホPCの技術は必要なかったのでそれも仕方のないことなのです。

 

生活に必要とされるスキルは時代によって変化していくものであって、必要のないスキルや知識から人はどんどん離れていきます。

 

料理や自動車運転のスキルが低下していることを嘆く高齢者はおおいですが、それは現代、または未来において重要度の低いスキルだからです。

 

今は料理の仕方がわからなければスマホですぐに調べられるし、自動車の運転は現状AT限定で十分で、近い未来自動化されることが予想されます。

ストックとして保有している知識よりも、フローとして情報アクセス能力が重要な時代になっています。

 

過去必要とされたスキルを持ってないからと言って、若者を見下し自分の自我を保つような姿勢は幼稚としか言えません。

今の若者は過去に縛られず、現代の価値観の中で生きているのです。

 

ゆとり批判厨からは距離を置こう!

「最近の若者は…」とか「ゆとり世代はこれだから…」とか言ってくる輩には

「そうなんだ!おじちゃんの時代はすごいねー!今の若者は全然ダメダヨネー(裏声)」とでも言っておけばきっと満足して黙ってくれるでしょう。

 

気分を良くして更に若者叩きをする人からは距離を置きましょう。

 

おっさんの自己満足に過ぎないとわかっていても「若者は情けない!」と言われ続ければ本当に自信を失ってしまうなんてこともなくはないですしね!

 

高齢者、若い世代がそれぞれの常識や考え方に寛容になって、お互いを認め合える時代がきたらいいなと思います(‘ω’)

 

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