「最近の若者は…」という魔の言葉
こんにちは。勇者おでいぶです。
最近家の近くの蕎麦屋でご飯を食べていたところ、横に座った二人のおっさんがしょうもないことを話していました。
「最近の若者は情けない」
という誰でも一度は言われたことのあるお決まりの若者バッシングが聞こえてきたのです。
「情けない」で済むならまだしも、「ゆとり世代は最早別の生物。俺たちの劣化版だよ」などと留まることを知らない悪口。
おまけに「俺が若い頃は…」とお決まりの自分語りがはじまりました。
このおっさんたちが言うように、最近の若者は本当にレベルが低くなってしまったのでしょうか。
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なんと「最近の若者は…」という愚痴はエジプトの古代遺跡にも象形文字で刻まれていたそうなのです。
古来より一定の年齢に達した人ならだれでも使ってしまい得る言葉なのです。
では何故この愚痴を使ってしまうのか?
それは中年~高齢者にとって気持ちの良い、麻薬のような言葉だからです。
「ゆとり世代はこれだから…」という言葉もおなじです。
ゆとり世代や自分より下の年代を無条件に否定することで、自分は勝っている。ゆとり世代生まれでない自分はそれだけでゆとり世代に、人間として勝っていると思い込むことができるのです。
だから自分に自信が無い人や、他人と比べて幸せを相対評価してしまう人程この言葉を使ってしまうのです。
「ゆとり世代&若者」という自分より下の存在をつくり上げることで、「自分はこいつらよりマシだ、人間として優れている」と思い込み、何とか自尊心を保っているのです。
TBSの「噂の!東京マガジン」という番組内に「平成の常識 やって!TRY」というコーナーがありますが、まさに「最近の若者は…」というおっさん世代の自己満足を表したような番組です。
町を歩く若者の女性に指定した料理を作らせ、四苦八苦している様子を「最近の若者はそんな料理もできないの!?」と出演者が嘲笑するといった内容。
まさに「料理ができないゆとり世代」を取り上げることで、自分もしくは自分達の世代が優れていると自己暗示し自我を保っている。
評価したいのは、たまに湘南の海での撮影があり、
巨乳水着のお姉ちゃんが見られるところくらいです。
その他にも若者の恋愛離れ、車離れといったようにテレビ「スキルも意欲もない若者」とまるで悪者のように取り上げる。
しかし、そもそもおっさん世代の評価基準で若者の価値を測ること自体が間違っているのです。
変化のすさまじい現代です。
今のおっさん世代が生きる為に必要だったスキルや考え方と、今の若者が必要とされるスキルは全く異なります。
それなのにいつまでも料理のスキルやら、自動車の運転スキルやら、会社への忠誠心やらで若者を判断して「我々の世代に比べて若者はなっていない」とマウントをとること自体が間違っているのです。
東京マガジンを例に挙げましたが、あれが逆に高齢者にスマホやPCをもたせ、満足に操作できない様子を若者が嘲笑する内容だったらどうでしょうか。
きっと多くの高齢者から非難の的にされるはずです。若者の僕も気分が悪くなります。
今の高齢者が若い時にはスマホやPCの技術は必要なかったのでそれも仕方のないことなのです。
生活に必要とされるスキルは時代によって変化していくものであって、必要のないスキルや知識から人はどんどん離れていきます。
料理や自動車運転のスキルが低下していることを嘆く高齢者はおおいですが、それは現代、または未来において重要度の低いスキルだからです。
今は料理の仕方がわからなければスマホですぐに調べられるし、自動車の運転は現状AT限定で十分で、近い未来自動化されることが予想されます。
ストックとして保有している知識よりも、フローとして情報アクセス能力が重要な時代になっています。
過去必要とされたスキルを持ってないからと言って、若者を見下し自分の自我を保つような姿勢は幼稚としか言えません。
今の若者は過去に縛られず、現代の価値観の中で生きているのです。
「最近の若者は…」とか「ゆとり世代はこれだから…」とか言ってくる輩には
「そうなんだ!おじちゃんの時代はすごいねー!今の若者は全然ダメダヨネー(裏声)」とでも言っておけばきっと満足して黙ってくれるでしょう。
気分を良くして更に若者叩きをする人からは距離を置きましょう。
おっさんの自己満足に過ぎないとわかっていても「若者は情けない!」と言われ続ければ本当に自信を失ってしまうなんてこともなくはないですしね!
高齢者、若い世代がそれぞれの常識や考え方に寛容になって、お互いを認め合える時代がきたらいいなと思います(‘ω’)ノ